知立市 → 刈谷市

知立市長の参加に勇気をもらい、行進は前進!

6月3日(日)まとめ

●知立市 → 刈谷市コース 12㎞ ●行進参加400人
●沿道募金 20,641円
●ヒバクシャ国際署名 266筆 ●折り鶴 2,525羽

 

知立市役所では、市長から歓迎あいさつがありました。

市長は被爆体験、戦争体験を語り継がないといけないと、小中学校で体験聞く会を実施しているとして、2度と悲惨な戦争を繰り返してはならない」と行進団にエールを送り、1歩でも2歩でもと行進に参加しました。

自治体への要請について報告では、年3回原爆展の開催、市職員も署名に応じているなどが紹介されました。

 

米軍依佐美基地跡の周辺めぐり

午後の行進は、元米軍通信基地である依佐美基地の周辺を回るコースです。

願行寺では、刈谷市平和委員会の串田さんが、「受難の像」について説明しました。基地鉄塔で遊んでいた秀樹ちゃん(1975年当時小学2年)が感電死したことをきっかけに地蔵が建立され「受難の像」と命名されたこと、また新たに鋳造された梵鐘には、基地で使われていたアース線などを鋳込し平和の願いを込めたことなどをお話しいただきました。

その後、行進の歩を進め米軍基地跡「フローラルガーデン」では、真珠湾攻撃の命令「ニイタカヤカノボレ」もここから発信されたことなどの説明があり、行進団一同、戦争への拠点基地として役割を果たしていたことを学ぶものとなりました。

 

 

 

広島原子爆弾被爆体験者 語り部 岡畠 修二

平和大行進に参加のみなさま、大変お疲れさまです。

今年は例年にも増して暑い日が続くとの報道がなされていますので、熱中症にはくれぐれもご注意ください。

私は、73年前、爆心地から南方2,000mの地点で被爆しました。幸い、放射能による弊害もなく94歳になりました。

数十年前から被爆体験をもとに、安城市および近隣都市の小中学生に戦争の悲惨さ、平和の尊さついて語り続けています。声が出るかぎりこれからも頑張ります。

さあ、みなさん!全員ゴール出来るよう頑張ってください!!

 

 

わかやまコープリレー交代します

31日から参加した森さんは、3日で最終日。終結集会のあいさつで「原爆の灯の重みを感じました。歌やコールなど楽しい体験をすることができました」と話しました。

また、森さんから引き継いだ、溝上さんは「戦争を知らない世代なので、しっかり受け継いでいきたい」と話しました。

 

 

 

市長代理もともに歩む刈谷コース

刈谷市役所へ向かう行進団に、平和行進の懇談を終えた市総務部長が駆けつけ行進に参加しました。

自治体とともに歩む平和行進の力強さを実感します。終結集会では、「南北会談で非核化に向けた前進は喜ばしいことです」などの市長メッセージが紹介されました。

自治体要請の報告を行った串田さんは、署名などに応じてもらえなかったが、平和首長会議への加盟、原爆パネルの開催やDVD「つるにのって」購入の検討などの粘り強い前進があり、反核平和運動の継続が重要と発言しました。

共産党の山本市議は、オバマ・プラハ演説で「生きているうちは無理だ」との内容に触れ、「それに相反し、昨年の禁止条約やその後の状況は、核兵器廃絶の道筋が見えてきた」と行進団を励ましました。

 

 

青年の熱い熱意が心動かす。署名と募金は昨年の倍に

●コープ職員 コープあいち西尾センターの若手職員が一日署名カンパ隊に奮闘しました。

「大変だったが貴重な体験となりました」、「平和行進が無くなってもすむよう核兵器廃絶を実現させたい」と感想を語りました。

●国際リレーベンさん 言葉の壁を越えて署名を集める

ベンさんも1日、署名にとりくみました。通し行進者の佐藤さんと一組になって、「署名お願いします」と片言の日本語で呼びかけます。

ベンさんの持ち前の明るさと、あつい熱意が心を動かし、一人で何と49筆の署名を集めました。